タグ 「世阿彌陀佛」 が付けられた名言

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能の演技者として功なり名を遂げたのは、能がしだいに上達していったからである。にもかかわらず、上達の過程を忘れてしまっていては、もし自分の芸が初心の段階に逆戻りしていたとしてもわからない。
初心の芸に帰ってしまうということは、すなわち能が退歩することだ。だから現在の自分の芸境を見失わないためには、初心の芸を忘れまいと工夫しなければならない。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,
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命には限りがあるが、能には限りがない。
だから、それぞれの時期の演戯をひとつひとつ習い覚え、すべて身に着けても、さらに老後の姿にふさわしい技芸があり、それを習うのが老境の初心の芸なのである。そこで老境の芸を初心と覚悟していれば、それまでに身に着けてきた能が老境の芸に凝縮されてくる。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,
初心の段階から盛りのときを経て、老年の時期に至るまで、それぞれの段階にふさわしい演戯を習い覚えるのは、それぞれの時期における初心の芸に他ならない。もしそれぞれの時期の芸を捨ててしまって忘れてしまうなら、現在の芸風しか身につけていないことになる。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,
生涯この『初心を忘れず』に過ごせば、引退の舞も上達一途のうちに舞うことができ、最後まで能には退歩ということがないはずである。
それゆえ、能の行き止りを見せることなく生涯を終えることを、わが観世座流の奥義とし、子々孫々家訓として守るべき秘伝とする。この心髄を伝えることが、子々孫々、相伝されるための芸道上の工夫とするものである。初心を忘れるならば、初心は子孫にまで伝わるはずがない。初心の芸を忘れることなく、子々孫々にまで相伝すべきである。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,
若い頃の芸を常に忘れずにいれば、老後にさまざまな利益となる。
「以前の欠点や間違いを知ることが、のちのちのためになる」と世で言われているように「前を行く車がひっくり返るのを見るのは、後に続く車の教訓になる」ということわざと同じだ。
初心の芸を忘れてしまっては、その後に得た現在の芸境も忘れてしまうのではないだろうか。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,
過去のそれぞれの時期に行った演技というのは、それぞれの段階での初心の芸に他ならない。それを現在の芸風の中に統合して持っておくことは、それぞれの時期の初心の芸を忘れないことだろう。
人はこのようにしてこそ、あらゆる芸域を広く身につけた演技者となりうるのである。だからこそ、それぞれの時期の初心の芸を忘れるなというのである。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,
わが観世座流に金言というべき一句がある。「初心忘するべからず」、この句には三か条の口伝が付随している。

ひとつは、「是非によらず、修行を始めた頃の初心の芸を忘るべからず」。

ふたつめに、「修行の各段階ごとに、それぞれの時期の初心の芸を忘るべからず」。

みっつめに、「老後に及んだのちも、老境に入ったときの初心の芸を忘るべからず」。
世阿弥
世阿彌陀佛, 猿楽師, 大和猿楽結崎座, 観世流, ,